各地域の大蛇山のはじまり


 =三池の大蛇山のはじまり=
この地方には、水が湧き出る所を神様だと考える、水源信仰というものがありました。
やがて、水を司る神様として、大蛇(オロチ)や龍を神様だと考え、これを信じるようになりました。これを水神信仰といいます。
やがて時は経ち、江戸時代の初めの頃。当時は現代と違い、収穫は不安定、また、疫病などの問題も深刻でした。
そこで、この問題をどうにかしようと、当時のお殿様は考え、京都には豊作や、疫病退散につよい『祇園』の神様がいるからこれを呼ぼうと考えました。これを祇園信仰といいます。
そうして、1640年には、祇園の神様をこの地方に呼び、この神様をお祀(まつ)りする、祇園社を建てました。
このときから、昔より信仰のあった水神信仰と祇園信仰の祭礼が融合し、この地方独特の祭礼となっていったのが、現在の『大蛇山』の始まりであると考えられています。


 =大牟田の大蛇山のはじまり=
大牟田にも三池と同じくらい古くから祇園社は存在していました。
大牟田に大蛇山が登場したのは、明治26、7年頃に三池の大蛇山を見に行った青年達が、同じ祇園であるから大牟田にも大蛇山を作ろうという事になり、大牟田でも大蛇山が作られるようになりました。
初めは、1台のみでしたが、昭和の初め頃から他の地区でも大蛇山が作られるようになりました。

 =諏訪の大蛇山のはじまり=
諏訪神社に祇園の神様が祀られたのは、神仏判然令という法律によって、明治4年に当時の大牟田村に祭っていた八剣神社を諏訪に交付された事からはじまります。
諏訪に大蛇山が登場したのは、記録が火災によってなくなってしまったため、詳しくはわからなくなってしまったのですが、大牟田に大蛇山が登場したのと、ほぼ同じ時期ではないかと考えられています。

 =祇園大蛇山『六山』=
大蛇山祭りの初日には、『六山巡行』が行なわれています。
この『六山』とは、三池祇園の二山と、大牟田祇園の三山、そして諏訪祇園の一山の合計六つの神社から出されている大蛇山の総称です。
現在では数多くある大蛇山の中でも、特に歴史が古く、伝統がいまでも守られ、受け継がれています。

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